PROFILEプロフィール

オーナー / セラピスト 略歴

代表

堀田 真紀 (ほった まき)

GHTS公認 スウェディッシュボディケア セラピスト / インストラクター 、ハープ奏者。工藤静香ディナーショーで演奏(2000年)、デヴィ夫人とも共演(2007年)。

 

2003年からセラピスト業に携わる。ホテルオークラ東京 グランドコンフォートフロア スパ「ネイチャーコート」・アリマックスホテル渋谷などでアロマトリートメントを中心に施術経験を積む。18年間で施術した人数はのべ2000人以上。 

 

ハープ奏者としてはこれまで、ホテルニューオータニ、ウェスティンホテル東京、帝国ホテルなどの都内一流ホテルで演奏。ホテルメトロポリタン ティーラウンジ「すずかけ」で9年間レギュラー演奏(1996~2005年)。2000年に工藤静香ディナーショーに出演。2007年、キム・ヨンジャ20周年リサイタルにてデヴィ・スカルノ元大統領夫人と共演。

 

2014年夏、家族で初めてキャンプに訪れた山梨県北杜市に強烈なインスプレーションを感じ、2015年8月、東京都新宿区から家族3人で山梨県北杜市に電撃移住。

 

18年4月、自宅敷地内に北欧風ログハウスをセルフビルドで建築し、山梨県初のスウェディッシュマッサージ専門サロンMYSA(ミーサ)をオープン。利用者のリピート率は9割で、長野・東京・名古屋から3時間以上かけて定期的に通う方も。医師・看護師・理学療法士・鍼灸師など医療従事者、バレエダンサー・オリンピック選手指導者などのクライアントも多数。

19年4月には甲信越初のスウェディッシュマッサージ認定校 GHTS山梨校を開校。

〜施術しながらセラピスト自身も健康になれる〜進化系スウェディッシュマッサージ「ケアササイズ」の啓蒙活動に、日々奮闘中。

 

プライベートでは中学生女子の母。

音楽家→セラピスト という異色の経歴

演奏者

セラピスト業に携わるようになって、早15年以上になりますが、実は最初からセラピストを目指していたわけではありませんでした。

子供の頃から音楽が大好きだった私が最初に選んだ道は「音楽家」。

20代はハーピスト(ハープ奏者)として演奏活動やハープ講師の仕事をしていました。 

首都圏を中心に、ホテルのラウンジや結婚式、コンサートや各種イベントなど、1日で何ステージもこなし、多いときは毎月平均100ステージ以上演奏し、時には同じ日に静岡・神奈川・東京と3箇所移動して演奏するなど、多忙を極めていました。

メイクとドレスで華やかに着飾り、ハープを奏でる姿は、一見優雅に見えますが、ブライダル等失敗の許されない場面でのセ演奏や、同じ日に東京・神奈川・静岡と数カ所で演奏したりと、実際は肉体的にも精神的にもかなりハードな仕事です。

でも、演奏を聞いたお客様が目の前で拍手をして下さったり、リクエスト曲を演奏すると涙を流して喜んで下さったりと、常に、ダイレクトに反応をいただけるこのお仕事は、緊張感の中にも非常にやりがいのあるものでした。

セラピスト業を始めたきっかけ

精油の瓶

演奏業が少し落ち着いた20代後半、趣味の石鹸作りをきっかけにアロマテラピーに興味を持つようになり、アロマの世界をより詳しく知るために、2002年に日本アロマテラピー協会(現 社団法人日本アロマ環境協会)のアロマテラピーアドバイザー資格を取得しました。

当時、アロマトリートメントの技術を取得したいと思っていたので、更に上の資格を取ろうと調べたところ、協会には、更に「アロマテラピーインストラクター」「アロマセラピスト」の上位資格がありましたが(2002年当時)、そのどちらも、「アロマトリートメントの技術実習がない」ものでした。(アロマセラピスト資格は実習でカルテを制作する必要がありましたが、技術そのものの講義はないか、あってもごくわずかでした)

ちょうどその頃、近くの温泉宿泊施設でリラクゼーションサロンの求人があり、未経験者でも研修を受ければ働ける、とのことで、「ここならきっと実践的な施術が身につけられる!」と思い、面接を受け、採用されました。

首都圏の一流ホテルスパ・サロンで多くの施術経験を積む

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ソニーCPラボラトリーズ熱海店 3stepでフェイシャル技術とメイクアップ技術を学んだ経験を皮切りに、ウェルハートピア熱海(旧厚生年金宿泊施設)のリラクゼーションサロン店長に抜擢され、ボディ・リフレクソロジー・フェイシャルの施術業務の他、店舗管理やシフト、未経験者の技術指導に携わりました。

 

ずっとやりたかった、アロマトリートメント業務に携わることができてとても充実した日々でした。特に、前店での経験が生きたのか、フェイシャルマッサージの評判がとても良く、「あなたの施術じゃなければ受けたくない」と常連のお客様に指名を受けるほどでした。

 

その後、神奈川県に転居、セラピスト仲間の紹介でホテルオークラ東京のスパグランドコンフォートフロアに勤務。

スパのコースメニューでの施術はもちろん、オークラのVIP顧客のアテンドをすることで、一流ホテルでの接客対応を経験しました。

 

オークラの顧客の中でもVIP層が訪れるスパで、後日「あの人の施術が素晴らしかった」とアンケートでお褒めの言葉をいただいたこともあり、特にヘッドマッサージについては、スパ専属の美容師スタッフにも「パーフェクトだ」と言われるほどの技術を取得することができました。

その後、港区内の出張型マッサージサロンで新たにもみほぐしの技術を取得、アリマックスホテル渋谷ではレディースプランの客室出張アロママッサージ業務を行うなど、男女問わず幅広い年齢層のお客様の施術経験を積むことができました。

 

これまでのセラピスト人生15年で施術したお客様の数は約2000人になります。

数多くの一流サロンやスパで、これだけたくさんの施術経験を積んでこられたのは本当に恵まれたことと感謝していますし、この経験がなければ今の私はなかったと思います。

ご縁を結んで下さった方々に心から感謝しています。

出産・育児を機にナチュラル志向へ

赤ちゃんの手

2007年に結婚、2008年に娘を出産しました。

出産を機に、食事や生活環境など、普段使用するものにも自然と「ナチュラルなもの」を選ぶようになり、布おむつや母乳、おむつなし育児など、自然派育児を心がけるようになりました。


また、大人のオイルマッサージは慣れていても、赤ちゃんのマッサージは未経験だったので、ベビーマッサージの講習を受け、0歳の娘を相手に毎晩お風呂上がりにマッサージ。満足そうにスヤスヤと眠る我が子を見て、これまでにない満足感を覚えるようになりました。


私自身は、子供の頃かなり病弱だったため、しょっちゅう病院や薬のお世話になる生活を送っていたからか、病院や薬に苦手意識がありました。

 

そんな子供時代の経験も手伝って「我が子はなるべく病院や薬のお世話にならずに子育てをしたい」と考えるようになり、西洋医学だけに頼らない選択肢を求めて、ママ友との交流やネットでも情報収集をしていました。

 

アロマテラピーを始め、マクロビオティック、ホメオパシーなど様々な代替療法を試しました。その甲斐あってか、我が子は丈夫にすくすくと成長してくれたこともあり、産後、2年ほどで演奏業復帰、4年ほどでセラピスト業に復帰しました。

 

復帰後はこれまでの豊富な施術経験を生かし、アロマトリートメント未経験者向けの技術指導や、小・中学生のお子さんを持つお母さんたちを対象にしたキッズマッサージ講座などを開催するようになりました。

都会で生活することへの違和感

バスタ新宿

自然派志向になるにつれて、東京都心での生活に違和感を覚え始めていました。


当時家族で暮らしていた都心のマンションは、新宿区の大手企業の本社ビルが隣接する場所、目の前を大きな幹線道路と電車の線路に面していて、常に電車や車が行き交う場所。

最寄駅はJR山手線他、地下鉄や私鉄など3線乗り入れ、駅まで徒歩10分以内なのでどこへ行くにも便利に行ける。

コンビニは歩いて数分の場所に何軒もあり、スーパーも飲食店も豊富にあり、この上なく便利な環境でした。


その一方で、子供の遊ぶ場所といったら、近所の狭い公園か、モール内にある屋内の遊び場。

幼稚園の放課後や週末は「今日はどこへ連れて行こうか」と悩みました。


また、2011年の震災以来、放射能汚染の心配もあり、公園での外遊びも思うようにできず、キッチンの浄水器の水でさえ安心して飲めなくなり、ペットボトルの水を常備し、飲み水も調理もそれを使う生活を余儀なくされました。


そして、毎日食べる食材にも、無農薬なだけでなく、産地にも気を配り、安心安全な有機野菜を手に入れるために何ヶ所もお店を周りました。

時には、考えすぎてしまい「買えるものがない・・・」と呆然とスーパーで立ち尽くしてしまうこともありました。
 

山梨県北杜市への電撃移住

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2014年の夏に家族で初めてオートキャンプに訪れた山梨県北杜市で、雄大な山々の景色に魅了され

「こんな場所に住みたい」

と自然に思うようになりました。

山や川、広大な草原などが周囲にたくさんあり、子どもの遊び場に事欠くことなく、美味しくて綺麗な水も、すぐそばで採れた新鮮な野菜も手に入ります。


夫婦共に幼少期は自然の多い場所で育ったこともあり、漠然と「子供を育てるなら田舎がいい」という思いは常にあったので、移住を決断するまで、そう時間はかかりませんでした。


すぐに土地探しを始め、自然素材で家を建ててくれる建築家を探し、自宅マンションを引き払い・・・

と驚くほどスムーズに準備が進み、それから1年弱の2015年8月、家族3人で新宿区から山梨へのスピード移住を果たしました。

スウェディッシュ・マッサージとの出会い

施術中

移住後もセラピスト業を続けていましたが、ある時、長時間の施術が続いた後、手首と指に違和感と痛みを感じるようになりました。

最初は施術直後だけだったのが、次第にひどくなり、何もしていなくても常に痛みを感じるようになってしまいました。


ーこのままではセラピストの仕事を続けられなくなるかもしれないし、楽器の演奏もできなくなってしまうかもしれないー


10年セラピスト業を続けてきて、私自身はそんなことは初めてでしたが、周囲を見渡してみると、

「親指に慢性的な痛みを抱えているセラピスト」や、

「腰痛で悩んでいる同僚」

「指にテーピングを巻きながら施術をしている整体師」

など、体のどこかに不調を抱えている人はとても多かったことに気づき、


「セラピストは自分の体を犠牲にしないと成り立たない職業」

という、リラクゼーション業界内の現状にも大きな疑問を抱き始めました。


自分の得意分野を2つも仕事にできていた私はとても幸運でしたが、そのどちらも手指を使うものだったため、手を痛めてしまってはどうにもなりません。

 

ーもしこのまま痛みが治らなければ、どちらの仕事も続けられなくなるかもしれないー

 

強い危機感を感じ、どうすれば痛みがなくなるのか、また今後も続けていけるような手に負担のかかりにくい施術方法はないものか、探し回りました。


そんな時、インターネットでたまたま見つけたスウェディッシュマッサージのスクールの言葉が目に飛び込んできたのです。

奇跡のマッサージ「スウェディッシュ・ボディケア」

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「セラピストは腰や関節を痛めることなく、長時間の施術でもまるでダンスを楽しむかのように行うことができる」


「まるでダンスをしているかのようなダイナミックな施術法は、骨盤と肩関節を連動させることで安定感のある施術が可能」


「施術すればするほどに受ける側もセラピスト自身もどんどん健康になり幸せになれる、そんな魔法のような相互癒しテクニック」


「アロマトリートメントでは物足りないが痛みのある整体や指圧は苦手という方にぴったりのもみ返しになりにくい安心安全のボディケア」

GHTS-Tokyo公式サイトより)

 

私が探し求めていた施術方法は、これだ!これしかない!!
すぐに東京・練馬のスクールの門を叩き、最上位コースであるGクラスの受講を始めました。

GHTSへ通学

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GHTSで学んだスウェディッシュ・マッサージは、同じオイルを使ったマッサージでも、これまで行ってきたアロマトリートメントと比べると、セラピストの動きも基本姿勢も全く異なるものでした。


通い始めるまでは、「自分には10年以上のセラピスト経験があるから、スウェディッシュマッサージの技術取得においても、きっと近道になるだろう」

と内心思っていましたが、そんなものは自惚れでしかなかった、とすぐに思い知らされました。

スクールの実習では、特に初めた当初は余計な力が入ってしまい、実習中にあちこち筋がつってしまったり、動きが大きすぎて自分の動きに車酔いのように酔って気分が悪くなってしまったり、レッスン後には必ず筋肉痛になってしまったりと、初めのうちは散々でした。

「こんなはずじゃなかった、なんでできないんだろう」とメンタル的にもかなり打ちのめされた時期がありました。


でも、探し求めていた施術法に出会ったからには、途中で諦めるわけには行きません。


ーこれまでのセラピスト経験を全て捨てることになったとしても、絶対にこの技術を取得したいー


文字通り、一から全て学ぶつもりで、毎週山梨から練馬のスクールへ通い続け、レッスン後は家族や友人にモデルを頼んで練習したり、スクールの動画を見たりととにかく復習を繰り返し、110種類以上あるスウェディッシュの手技を必死で憶えました。

ディプロマ取得 サロン開業へ

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努力の甲斐あって、2ヶ月ほどでスウェディッシュ・マッサージのディプロマを取得することができました。

そして、これまでのセラピスト人生では全く考えたことがなかった「自分のサロンを開業したい」という気持ちに自然となっていました。


まだ知名度が低く、受けられる場所もスクールもごくわずかなスウェディッシュ・マッサージ。

こんなに素晴らしい施術法が、なんでこんなに知られていないのか?

それは、本格的なスウェディッシュマッサージを受けられるサロンが数少ないこと、そして教えてもらえるスクールはもっと少ないからに他なりません。


ないならば、私が作ろう!そんな想いから、将来的なスクール開校を見越して、まずはサロン作りを始めることにしました。

ただ、移住後もハープの演奏活動とレッスンを続けてきた私にとって、サロン開業すること=ハープ奏者としての活動をやめる、もしくは一時中断することになります。長年、本業として続けてきた演奏活動を中断することは、正直迷いもありました。でも

「私がやらなかったら、山梨ではこの先何年、いや何十年経ってもスウェディッシュマッサージは受けられないし、セラピストも育たないだろう。」


「ハープ演奏とレッスンは自分にとってのライフワーク。ある程度の技術はあるし、この先年を取っても、その気があれば一生続けられる。でも、サロン開業は今やらなかったらもっと年を重ねてからではきっとできないだろう」

ーチャンスは今しかないー

そう思い切り、サロン開業へとシフトしました。
 

山梨から世界へ スウェディッシュ・マッサージの輪

代表

「スウェディッシュ・マッサージを受けることでより健康で幸せになる人を増やしたい」
「手や腰など、私と同じように痛みで悩んでいるセラピスト達に、『受け手もセラピストも健康になれる』この素晴らしい施術法を伝えていきたい」


ここ、山梨県は甲斐駒ケ岳の麓から、県内や甲信越エリアだけではなく、日本全国、いや世界へとスウェディッシュ・マッサージの輪を広げていきたいを願っています。